文責:村山芳昭 2008.11.01

暦・干支

現在、私たちは太陽暦を用いているが、この暦が導入されてから135年ほどである。それ以前の暦は太陰太陽暦(旧暦)が用いられていた。5世紀末の雄略朝(ワカタケル大王)の治世、稲荷山古墳(埼玉県行田市)や江田船山古墳(熊本県菊水町)から出土した鉄剣や大刀には、元嘉暦に基づく干支紀年や二十四節気を示すと思われる「七月中」「八月中」の文字などが残されている。両古墳からの出土遺物は、我が国における本格的な文字の使用の始まりを示すものとして貴重であるばかりでなく、5世紀代を旧暦の行用開始時期ととらえるなら、少なくとも、先人たちは1400年に及ぶ長きにわたり「旧暦」に親しんできたことになる。つまり、太陽暦の歴史は旧暦のそれに比べ1/10程度を経たに過ぎないのである。このことの歴史的意味は、「浦島説話」原作成立時期をどう認識するかという観点からみて極めて重要なことである。

2008年11月1日 村山芳昭

易(陰陽)・五行、讖緯(しんい)思想

「暦」と「浦島説話」とは非常に密接な関係性を持っている。『日本書紀』は暦日表記に干支を用いているが、干支には古代中国の易(陰陽)・五行、讖緯思想の哲理が畳み込まれている。そして、この思想哲理は、当時の知識人等に大変大きな影響力を及ぼしていた。「暦」に精通するということは、必然的に前述の思想哲理に通暁することを意味していた。

神仙思想は、不老不死の実現を理想とする思想である。「浦島説話」と神仙思想は密接に結びついている。

2008年11月1日 村山芳昭