「浦島説話」研究

始原の三書

いわゆる「浦島説話」の原作者は、持統、文武朝に活躍した官人・伊預部馬養連であるが、残念ながら原作それ自体は伝存していない。しかし、『日本書紀』、『丹後國風土記』「逸文」、『万葉集』に原作内容を知る手掛かりが遺されている。「浦島説話」を伝える始原の三書と呼ばれる史料である。このうち、「逸文」が最も詳しく内容について触れている。

『日本書紀』

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「浦島説話」を収載した『日本書紀』が成立したのは720年(養老4)5月21日、元正天皇の治世である。我が国初の官撰国史。全30巻、系図1巻から成っていたが、系図は伝存していない。

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『万葉集』

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長歌と短歌一首が『万葉集』巻九に収載されており、作者は高橋虫麻呂である。彼の生没年は不詳であるが、おそらく馬養の原作内容を知ったうえで後に詠まれたものであることは間違いないであろう。

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『丹後国風土記』「逸文」

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「逸文」では、これから語る内容は、丹波國で元の国守(「旧宰」)を務めた伊預部馬養連が書き記した内容を忠実に反映している。以下、概略を語ることにする、というのである。

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700年前後という時代

「浦島説話」の原作が成立した700年前後という特筆すべき時代を読み解く鍵は3点ある。1つは、『大宝律令』の制定(701年)に伴い、天皇を頂点に戴く律令国家が名実共に完成したこと。2点目は、藤原不比等という稀代の傑物による独裁体制の礎ができた時代であるということ。3点目は、当時は国史編纂作業が大きく進展するとともに、儀鳳暦が単独で行用され始めた時期であるということ。この3点を押さえておく必要がある。

暦・干支

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現在、私たちは太陽暦を用いているが、この暦が導入されたのは明治6年1月1日である。それ以前、暦は太陰太陽暦(旧暦)が用いられてきた。

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易(陰陽)・五行、讖緯(しんい)思想

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『日本書紀』は暦日表記に干支を用いているが、干支には古代中国の易(陰陽)・五行、讖緯思想の哲理が畳み込まれている。

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深層心理学

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東洋思想にも通じていたユングは、易の世界観にも豊かな示唆を得て、人間の無意識に対する洞察を深め独自の学説を説いた。神秘主義思想と深層心理学とは親和的関係性を有している。

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「浦島説話研究所」設立趣旨

学問の本義は真理の探究です。そこに向けて注がれる情熱が真理に通じる道であるならば、たとえどのように堅牢で難攻不落な城壁であろうと、いつか必ず、その固い扉は開かれるはずです。

「浦島太郎の物語」は、おそらく、日本人に最も広く親しまれ、愛されてきた説話の一つです。そのことに異論はないと思います。
今日伝承されている内容は、明治時代の児童文学者・巌谷小波(1870~1933)による作品(「日本昔噺」収載)がベースとなっています。

この説話誕生の歴史的源流を遡ると、西暦700年前後に至ります。原作者は伊預部馬養連で、持統、文武両朝の治世において活躍した官人です。彼は、「大宝律令」撰定メンバーにもなっています。残念ながら原作それ自体は散逸してしまい、現在、私たちはそれを手にすることはできません。
しかし、原作内容を知る手掛かりが『日本書紀』、『丹後国風土記』「逸文」、『万葉集』に残されています。説話を伝える始原の三書といわれるものです。「浦島説話」研究にあたっては、この三書の分析と考察が原点となります。始原の三書が伝える内容は、今日、私たちが認識している「浦島説話」とは随分と趣(おもむき)を異にします。

「浦島説話」については、これまでも多くの優れた研究論文が発表されてきておりますが、この説話に込められた原作者の隠された意図は、まだ我々の眼前に本当の姿を現していないのではないか。その問題意識が、本研究所設立の出発点となっています。

「浦島説話研究所」はネット上に存在する研究所です。

「浦島説話」は、8世紀前後の古代社会に関わる歴史学、考古学、民俗学、国文学、哲学、深層心理学等、多様な分野の、豊かな研究素材にあふれています。

いろいろな観点からの考察を通して、原作者が作品に込めた意図を考察していきたいと考えています。

2008年11月1日「古典の日」に
浦島説話研究所 主宰 村山芳昭

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